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俺のセブンルールn番目カルタ

数十年生きてきた経験から、こうしたほうが人生を無駄にせずに済むな、というプラクティスを書き記す場所。

自分の中で発見があったら、加筆修正していきます。

あくまで個人の意見と感想に過ぎませんが、誰かの人生を良くするヒントとなれば幸いです。

目次

学校に通っているうちはちゃんと勉強しよう

学校での勉強は社会人生活に彩りを与えてくれる。

国語は書類の読み込み・作成スキルに直結する。

英語は外国圏の情報を読み取ったり、引き出したりするのに役に立つ。

数学はビジネスにおいて重要な判断材料を分別するのに必要だ。

理科は日常生活にあふれる化学反応を認識し、危険を回避したり、便利に利用するために役に立つ。

社会は法の成り立ちや仕組みを理解することで、自分をサポートしてくれる制度にたどり着くための知識となる。

…いろいろな科目があるが、どれも卒業したあとに役に立つことばかりだ。

だが、知識がプリミティブなので、別途応用力を身につける必要がある。

それでもまずは十分に時間が取れる学生の間に、基礎をしっかりと叩き上げ、学校を卒業するのがよい。

卒業後、仕事を始めてから基礎力をつけるのは時間が限られているだけになかなか難しい。

なんでもやってみよう

なにか興味があることがあれば、すこしでもいいからまずはその世界に触れてみよう。

まずはネットで動画を見たり、情報収集してみよう。

ワクワクが収まりきらなくなってきたら、道具を手にしてみるなり、実際にやってみればいい。

もしかしたらすぐに飽きてしまうかもしれないが、それならそれでしょうがない。

潔く道具はフリマアプリなどで引き払ってさっぱりしてしまおう。

洞察力を鍛えよう

目の前に「テーブルの上にりんごが一つ」あったとしよう。

これを見て、どれくらいの情報を引き出せるだろうか。

「りんごの色は赤である」「大きさは…」「形は…」「味はどんなだろう…」「腐ってはいないか?」「まだりんごはあるのだろうか?」

「テーブルの大きさは…」「天板の素材は…」「材料の産地は…」「高さは…」「構造は…」

これは、実際の視覚や触覚情報でわかることでもいいし、わからないことを列挙しても良い。

わからないことで気になった事があれば、それを調べるとなお良い。

とにかく、ある対象においての情報をどれだけ引き出せるかということである。

これをしていると、物事をヒューリスティックに捉えることができるようになってくる。

もちろん経験則に基づく判断に過ぎないので、間違うことはあるだろうが、それでも本質を捉えていればあながち間違わない。

また、一つの対象から大量の情報を引き出すと、別の関連する情報に紐づくことがある。

それを連鎖させることで話題が無限大に広がっていく。

(それをうまくまとめる話術は別途身につけないと話がとっちらかってしまうが)

挨拶はしよう

コミュニケーションが苦手、という人は、少なくとも挨拶だけはしよう。

「おはようございます」「こんにちは」「こんばんわ」「お疲れさまでした」

もちろん相手が認識する程度の声量と向きで。

それ以外は用がある時に必要なコミュニケーションを取れば十分である。

そこから、雑談にステップアップできるならすればいいし、できなければ無理することはない。

挨拶は最低限、人間として認識されるためのプロトコルのようなものだと割り切ろう。

面倒でもまずはやろう

家族、友人、同級生、同僚、上司等々、いろいろな人から何かを頼まれることがあるだろう。

しかし、常に快く返事ができるとは限らず、正直気が乗らないようなことや、やりたくないことを依頼される場合もある。

それでもここでは、否定から入るのではなく、まずはやってあげよう。

(もちろん自分にだけリスクを押し付けてくるような依頼や危険が伴う場合は最初から断ったほうがよい)

それは試金石である。

相手がまともな人間であれば、その埋め合わせを同等かそれ以上で返してくれる。

そうではなく、ただただ消耗させてくるようであれば、次からは断り、縁を切ろう。

客観視を身に着けよう

「自分は今何をしているのか」「今、自分は何を考えているのか」「どんな感情なのか」等々、自分がどんな状態であるのかを客観視することを身に着けよう。

特に、感情的になって何か行動を起こそうとしているとき、焦っていたり、時間がないときに物事に取り組もうとしているとき、無意識でやっていることを始めるとき。

一呼吸おいて、客観視することで、冷静になったり、自分の行動を見直すことができ、さらには無駄な失敗を事前に防ぐことができる。

感覚を遮断しよう

たまには感覚器官からの刺激を減らして休ませてみよう。

視覚をアイマスクで、聴覚は耳栓・イヤーマフで、触覚は刺激の少ない服装や姿勢で、味覚は歯磨きをしてよく水で洗いで、嗅覚は部屋から匂いを片付けて。

刺激を遮断しリラックスした状態で思考を無にする。

思考を無にするのは難しいところもあるので、できなければ、身体の足先から頭の先までの部位ごとがリラックスできているかどうかと問いかけるように意識を向けてみる。

不快感があれば正す。

いっそのことそのまま昼寝をしてしまってもよい。

お金を大事にしよう

タイム・is・マネー、マネー・is・ライフ、ライフ・is・タイム。

これらは三位一体と言えるかも知れない。

人生のうちのいくらかの時間を使ってお金へ変換し、そのお金で別の時間を手に入れる。

「お金を大事にする」というのは、貯金を大事にするということではなく、「必要なことに必要な分だけお金を使う」ということだ。

お金と仲良くなろう。お金は持ち主が成長するためには別れを悲しまない。

なぜなら、成長を遂げたあなたが、またお金を引き寄せてくれることを知っているからだ。

ここぞというタイミングで学習、経験、投資にお金をつぎ込めるように、お金を大事にしよう。

税金はなるべく払うな

脱税をしてはいけないが、しかし、必要以上に税金を支払う必要もない。

税金についてはとても複雑怪奇な仕組みであるが、一つづつ理解していけばそれほど難しいものではない。

書籍を一冊真面目に読みながら、自分の給与明細やら年末調整とにらめっこすればわかってくるだろう。

仕組みがわかってくると、「控除」というものが節税の鍵であることが見えてくる。

ここまでくれば、自分にはどんな控除が受けられるのかを調べ、可能な限り控除を受けることが合法的な節税となってくる。

ところで、そういった話になるといろいろな節税スキームの情報が世の中に溢れているが、大抵はグレーゾーン、またはブラックな脱税、もしくはトータルで資産を毀損する嵌め込みである。

そもそも、徴税の仕組みを理解していない状態で、他人からの受け売りで節税への行動を取るべきではない。

(特に不動産投資で節税を謳う業者には関わってはならない)

あれこれ脱税まがいな方法を考え、ギリギリを攻めるよりも、利用できる控除を最大限活用して、おとなしく正規の納税をするべきである。

飲酒は限りなく0にしよう

「酒は百薬の長」などという諺があるが、酒類(アルコール)は原則として毒物である。

とはいえ、嗜好品としてはメジャーなものであり、自制の上で楽しむには良いだろう。

ただし、過剰な摂取によって暴力事件を起こしたり、飲酒運転などの事故を起こすようなことがないように自制はしなければならない。

これらは社会的になんの情状酌量も得られないどころか、かなり厳しい判断を下される可能性が高い。

酩酊状態で路上に倒れ込み、怪我をしたり、吐瀉物で窒息死するケースもある。

まともな思考と運動能力を発揮できないため、追い剥ぎに合う可能性も否定できない。

また、酒税が価格に含まれているため、消費税と酒税を納税していることになる。

これは不必要な納税であると考える。

飲酒が過ぎて、アルコール依存症にでもなれば、社会性の崩壊、治療にかかる費用、発作に寄る飲酒と酒類の調達の費用、それらを総合した苦痛に見舞われ人生は彩りを失う。

タバコは絶対に吸うな

健康寿命を縮める愚かな行動であるとしか言いようがない。

また、喫煙によるダメージは代謝されにくく、長年に渡って悪影響を与えかねない。

呼吸器系のダメージによる苦痛は陸上で溺れているような苦しさと聞く。

昨今は喫煙を忌避する社会情勢でもあり、保険や就職に関して不利な条件を突きつけられるケースもある。

また、タバコ税が価格に含まれているため、消費税とタバコ税を納税していることになる。

これは不必要な納税であると考える。

喫煙が過ぎて、タバコ依存症にでもなれば、社会性の崩壊、治療にかかる費用、発作に寄る喫煙とタバコの調達の費用、それらを総合した苦痛に見舞われ人生は彩りを失う。

薬物に手を出すな

まず、日本国内において薬物乱用は違法行為である。

諸外国では、大麻やマリファナが合法な地域があると聞く。

しかし、言いたいのは違法行為か合法行為かではなく、人間の報酬系を破壊してしまうことが問題であるということが主張したい。

人間は何かしらの成果を得るために、それなりに努力をする。

身体を鍛え、競技に出場して優秀な成績を納めたり、勉強して、研究成果を発表したり、ビジネスで成功したり。

と、同時に「達成感」という快楽も同時に味わっているはずである。

「成績が上がらない…」→「頑張って練習・勉強だ!」→「やった!達成できた!」(気持ちいい)

成功体験による快楽ということができるのかもしれない。

話を戻すと、薬物はこの快楽の部分だけをちょっとした努力(吸引、静脈注射など)で、しかも努力して快楽の数百数千倍の快楽を得ることができる。

(できるといいつつ体感したことはないが、どうやらそうゆうことらしい)

これだけぶっ壊れた快楽の刺激を受けてしまうと、頑張って得られる快楽なんて馬鹿らしくなってしまい、薬物による快楽以外ではもう満足できなくなってしまう。

これが、薬物依存のロジックであると考える。

(もちろん、化学物質自体の依存性というのもあるのだろうが、精神的な部分のほうが強いと思う)

こうなってしまっては、もはや向上心など見込めない。

あとは灰色の人生を送るだけである。

法には従え

日本は法治国家である。

法は人を守る盾となるが、法を守らないものは守られない。

(細かいことをいうと、そうではないが、守らずに事件・事故を発生させた場合に不利に働くという点で守られないと表現する)

法を守ることで、社会が円滑に駆動しているので、それを犯す者は社会の駆動を邪魔するものであると認識される。

犯罪(法を犯すこと)は社会全体で見れば単なるコストである。

被害者の救済、容疑者の特定、容疑の確定、処罰、刑務所の維持等々、犯罪と犯人とその被害者を扱うコストは膨大なものとなる。

しかしその膨大なコストを掛けても、何も生み出さない。

大きなものには巻かれろ

社会は平均的な人間像に合わせて最適化されている。

もっとも、平均に最適化したがゆえに、そんな人物は存在しないことになってしまうけれど。

それはともかく、社会が提供してくれる仕組みにはなるべく巻かれるようにする。

調べないとなかなか気がつくことができないが、政府や社会はいろいろな保障や手当を提供している。

金銭的な手当、無料で受けられる医療サービスなど、適用条件に合致するのであれば、それらの制度を利用することに何の後ろめたさも存在しない。

そうして増えた可処分所得で人生を豊かにしていこう。

人生にとって一番無駄なのは、失敗することではなく、迷うこと

何かを始めたり取り組むときは、それなりに事前準備を行ったり、調べたりするだろう。

それでも、最後の最後を踏む出すときはどうしても迷いが発生する。

そこで迷って時間を浪費することほど無駄なことはない。

失敗を恐れる気持ちはどうしても捨てられないが、だからといって何かが前に進むわけでもない。

何もしない、は失敗するよりも何も得るものがない。

それどころか、迷うことに意識やリソースを取られたり、気持ちが上の空になることで、やるべきこともおろそかになる。

もしも判断に迷いが生じたら、占いに背中を押してもらうといいかもしれない。

街の占い師でもいいし、自分でタロットカードを読んでもいいし、鉛筆を転がしたり、花びらを数えてもいい。

要するに、なにかに判断を委ね、その結果で動き出せばいい。

迷うということは、自分の実力で出来る十分な理詰めは済んでいるということ。

そこまでできているなら、それ以上にできることなんかない。あとはやるかやらないかだけだ。

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